仕事場での伝道:いかに求めている人を釣りあげるか
ルース・E・シエメンス
Part 5
I釣り伝道は聖書の定義によって正しく動機付けられる
伝道とは、頭数をそろえ、スコアを付け、割り当てられた数をこなすことではありません。また、主へと人を勝ち取ることでもありません(たとえ、それが望ましい結果だとしても)。伝道とは、喜んで、うやうやしく、機転をきかせて、聖書や経験によって自分が知っている範囲で"主の栄光を宣言"することです。伝道は、物語を語るようなものです。このために教会は、存在するのです(Iペテロ2:9、詩篇96:3)。
まちがった伝道の定義によって、わたしは何年も足を引っ張られていました。わたしは、相手のキリストを主とする決心に繋がらない会話を始めることを恐れていました。失敗は赦されないと思っていたのです。けれども、この聖書の定義がわたしを種をまき、水をやることに解放してくれました。わたしが、神さまのことを話すとき、いつでも神さまは喜んでくださいます。というのは、わたしは前のように、求める人がやってくると、緊張のあまり固まってしまうということがなくなったからです。たとえ、相手になんの反応が無くても、わたしは喜んでいられるのです。神さまは、わたしの語った言葉によって、数日か数週間の後に他のクリスチャンが刈り取ることができる実を結ばせることができるからです。
J釣り伝道は聖書的である
前述したように、パウロとペテロは伝道を求める人の質問に答えることだと言っています。コロサイの4章5-6節でパウロは神を敬い、人を裁かない、魅力ある生活を心がけ、寛大で機転のきいた、渇きを促すようなコメントによって、相手からわたしたちが答えたい内容を聞くような質問を引き出すようにしてくださいと言っています。パウロは、全ての人間関係について書いていますが、ここでは特に職場(彼の導いた人たちが日のほとんどを過ごした場所。現代にも、同じ事が言えます。)での人間関係について書いています。
Iペテロ3章14-16節でペテロは、新しい改宗者たちに、厳しい迫害の中にあっても、伝道することを励ましています。ペテロは、神さまが許されない限り、クリスチャンに触れることのできないような敵を恐れるなと付け足しています。彼らは、自分たちの中に主が居られ、彼らに勇気と語るべき言葉を与えてくれると知っていました。彼らのライフスタイルは、ののしる人たちがそしったことで恥じ入るほど、非難するところのないものでした。
ペテロによると、彼らが持っていた希望が未信者たちを惹きつけたとあります。他の人たちは、激しい迫害、財産没収、経済的差別にあっても、クリスチャンに喜びと平安、自信があることを不思議に思っていました。忙しさと不安とに追われている現代でも、未信者たちは、毎日の仕事、生活の不満の中で、クリスチャンに忍耐と平安、そして見えない未来に対する平安を与える希望とは何だろうと思っている事でしょう。
けれども、釣り伝道は誰か質問してくれなくては、始まらないのです。質問が来ないのには、3つ理由があります。
1)わずかな接触しか存在しない。クリスチャンが、未信者を避けてしまったり、クリスチャンだけが集まってお昼を食べたり、時を過ごしたりしている。
2)クリスチャンが他の人とまったくかわらないため、求める人が気がつかない。 3)求める人が、クリスチャンの徳の高い生活に関心していても、クリスチャンが神さまについて何も言わないので、神と関連付けて考えない。
餌を環境(職場、近所、学校など)に合わせて置くことが大事です。
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