仕事場での伝道:いかに求めている人を釣りあげるか
ルース・E・シエメンス
Part 2
求めている人を釣り上げる
わたしは、テント・メーキングの働きの最中に、この"釣り"伝道の概念に出くわしたのです。それから、パウロとペテロの伝道手段を聖書の中に発見したのです!
1954年から、わたしはリマ、ペルー、ブラジルの公立、私立の学校、インターナショナル・スクールなどで教師や学校事務をして自分をサポートしてきました。ある日、先生の一人がわたしのオフィスに来て、"なくしたお金が見つかってラッキーだったわね。"と言いました。わたしは、同意しかけましたが、仕事の手を休めることなく、"ラッキーではないんですよ。神さまに、必死でお祈りしたら、神さまが見つけるのを手伝ってくれたんです。"それから、わたしは話題を変え、彼女はわたしの答えに驚きながらオフィスを出て行きました。わたしが、そのことについて、あまり気に留めてなかったので、彼女は戻ってきてこう聞きました。"あなたは、本当に神さまがこんな小さなことでさえも助けてくださると信じているわけじゃないでしょ?"それで、わたしは先週、神さまが答えてくださった祈りについてお話しました。そして、また話題を変えました。
もちろん、わたしは始めから彼女に福音について話をしたかったのですが、そうすることによって彼女がわたしを避けたり、わたしが彼女をクリスチャンに仕立て上げるのではないかと怪しんりしたかもしれません。彼女は次の日、わたしにさらに質問をもってやってきました。なぜなら、彼女が主導権を握っていると考えたからです。わたしは、彼女に会話をリードさせ、何について話すかも彼女の心の状態に合わせました。どんな質問をするかによって、彼女がどんなことに心の準備ができているのかを知ることができました。いつでも、わたしが言いたかったことを答えさせる質問を喚起させるような言動をしている必要があるのです!自分の周りにいる無関心な人たちや反抗的な人たちの中にいるかもしれない、求めている人を釣り上げるべきなのです。
"釣り"伝道手段によって、クリスチャンがもっと多く、もっと喜びをもって、そしてもっと実りの多い伝道するようになるでしょう。
1. 説明と例
"釣り"をするクリスチャンは、自分のライフスタイルを周りの人に観察される環境である、職場や学校で神を敬う生活を目指します。何気なく、その時と場にあった神さまについてのコメントを自然に会話の中に織り込んでゆくことを学びます。この、言葉や行動による餌によって、霊的に飢えている人が質問してくるようになります。それから、クリスチャンがその求めている人からの質問に答え、友好関係を築き、そしてその人がイエス・キリストに信頼するように導いてゆくのです。
狩人クリスチャンは、釣人クリスチャンよりも攻撃的ですが、暗闇の方へ進んでいってしまいがちです。矢を放って獲物をしとめるか、外すかというやり方が、彼らを求める人に接近させますが、無関心な人や敵対する人たちに接近している場合が多いのです。彼らは、相手のことがよくわからないため、どの人にもまったく同じやり方で伝道してしまうのです。もし、彼らが言うべきことをすべて順序立てて暗記していたならば、彼らの話は作り物のようで、自発性に欠けたものとなってしまうでしょう。多くの狩人クリスチャンは、セールスをモデルにした伝道手段を用いています。彼らのメッセージは一方的で、精神的な"パッケージ"を相手に買いたいと思わせます。彼らは、相手と関わりを持たずに、商品を売ってくるのです。彼らの意図は、説教を終わらせて、相手にキリストを受け入れる決心を促すことにあるのです。彼らは、相手の人生の深淵を変えようとしていながら、相手の人格や状態をなおざりにしているのです。
確かに、狩人クリスチャンは人に決心をさせますが、相手は自分でした決心の本当の意味を理解してはいない場合が多く、新しく生まれ変わったクリスチャン、とまではいかないのです。型にはまりがちの伝道に相手は、"別に害はないだろう"くらいにしか思ってくれないのです。これによって、たくさんの人たちを間違った、または混乱した霊的状態に留めてしまうのです。何人かの"犠牲者"たちは、神さまを離れていまい、また他に怒りを覚えている人たちさえいます。また、決心をしても何も変化の無かった人たちは、クリスチャンに騙されたと思ってます。
狩人クリスチャンは種をまかず、水をやらずに収穫を刈り取ろうとしているのです!確かに、決心をする心の準備ができている人もいるかもしれません。けれども、その人はすでに誰かによって種を蒔かれたからですが、今の世の中では、あまりそのような人はいないのです。
イエスさまが12弟子を遣わした時、ユダヤ人だけに語りなさいと指示しました。彼らは、"色づいて、刈り入れるばかり"(マタイ9:37、38 ヨハネ4:35-38)になっていたのをイエスさまはご存知だったからです。12弟子を刈り入れのために遣わしたのです。ガリラヤ地方のあちこちに住んでいた異邦人たちのほうが福音を必要としていたのですが、彼らはまだ刈り入れ時ではなかった上、弟子たちは異邦人に対する差別があり、民族を越えた伝道は彼らにはまだ無理だったのです。
パウロがローマ帝国へ伝道旅行に出たときには、それぞれの異邦人の町々で、種を蒔き、水をやることから始めなければなりませんでした。彼は、神の言葉を語り、神の業をなすことを、クリスチャンが周りにまったくいないところではじめなくてはならなかったのです。パウロは、いつでも、会堂に来ているユダヤ人、神をおそれる異邦人の中で求める人を釣ることから始めていました。けれども現在、わたしたちがキリスト教に敵対する国で、見ず知らずの人に福音を語ることは、わたしたちと相手の両方に、投獄、失業、国外追放の危険が伴います。
イエスさまは、周囲が敵対している中、働かれ、釣り伝道をなさいました。彼は主に、彼の言動によって引き起こされる人々の質問に答えました。ヨハネの4章で、イエスさまはサマリア人の女に飲み水を求めるという、他のユダヤ人の男性なら決してしないことをして、彼女を驚かせています。彼は、サマリア人の女の過去の男性関係と彼女の深い霊的な必要を知り、彼女の必要にあった質問をさせたのです。けれども、ヨハネの3章では、イエスさまの釣り餌は、奇跡でした。ニコデモが、夜にイエスさまを訪ねてくるのですが、イエスさまの"人は新しく生まれなけらばならない"という頭をひねるような言葉が、このユダヤ人の指導者であったニコデモを彼の必要にあった質問へと導きます。イエスさまも釣り伝道をされたのです!
イエスさまは、伝道を人を釣ることだと言われました(マタイ4:19)。ですから、"釣り伝道"は理にかなっているのです。ですから、失われた人たちの海が存在し、わたしたちは周り(家族、近所、職場、学校など)で求めている人たちを釣り上げるべきです。彼らは、神さまがそれぞれわたしたちにまかされている人たちなのです。それらを職場伝道、近所伝道、キャンパス伝道などと呼びかえてもよいでしょう。それらはすべて、テント・メーキングなのです。手に職を持っている人が、狩り伝道をするには危険なキリスト教に敵対する国々へ出て行き、文化を越えて伝道するのに適している方法なのです。
ですから、狩り伝道から、釣り伝道への切り替えは、語る人と聞く人の両方を解放してくれるのです。もちろん、釣り餌は、場合によって変わってきます。テキサス空港で乗り継ぎ待ちをしている間に、何百もの旅客と搭乗待合室で話しをすることは可能ですが、どの人に話し掛けるべきでしょう?椅子に腰を下ろすとき、まず、親しげに周りの人に声を掛けました。このことによって、一人の女性がわたしの仕事について聞いてきました。わたしが、回避的な返事をしていたら、そこで会話が終わっていたかもしれません。
わたしは、"クリスチャンが周りにいる心に傷を持っている人たちを助けるために、彼らが海外で仕事を見つけるお手伝いをしている者です。"と答えました。その女性は、わたしの手を取り、"あなたがここにいてくださって、とてもうれしいわ。わたしは、心にある傷を抱えているのです"と言い、話はじめました。彼女は夫を最近亡くしたばかりだったのです。搭乗案内のアナウンスがあったとき、残念思いましたが、実はわたしたちは同じ飛行機に乗ることに気がついたのです。彼女は、12Aの席で、わたしはその隣の12Bの席だったのです!神さまは、あらかじめ、わたしたちの出会いを計画されていたのです。飛行機が離陸するときには、彼女は3回十字を切っていましたので、彼女がカトリック教徒で、飛行機が苦手なことがわかりました。とても意義のある会話の後に、彼女にヨハネの福音書を差し上げました。(福音書や、伝道的の小冊子はあなたが語りきれなかったことを補充してくれます。あなたの住所を書いておけば、その人との文通につながるかもしれません。)
また、別の飛行機での話ですが、とあるビジネスマンの方と最近のニュースについておしゃべりしていますと、スチュワーデスさんが食事を運んできてくれました。わたしは感じたままに、"おなかすいた。これはおいしそうですね。神さま、おいしそうな食べ物を感謝します。それで、あなたが言っていたことだけど…"と会話を続けていました。話題をもとに事によって、彼に自由意志を与えたのです。わたしはお祈りのために目を閉じませんでした。彼は何の反応も示さなかったので、わたしは彼がわたしの食事の感謝の祈りを聞かなかったものとしました。食事の後、わたしたちはそれぞれ本を読み始めました。30分後に、彼は読んでいた本を置いて、神さまについていろいろ質問しはじめたのです。彼が話を続けて、何について聞きたいのかを決断する時間が必要だったのです。彼が、いつ話すかを選んだのです。もし、わたしが祈りの後に無理やり会話を続けていたら、彼は心を閉ざしてしまったかもしれません。
ですから、釣り餌はあなたが何気なくすることや慎重に"わたしは神さまのことを知っていますよ。そして、そのことについて、喜んでお話しますよ。"といった印象をあたえる言葉なのです。職場では、何日も相手の反応が無いかもしれません。けれども、彼らが問題に陥ったとき、誰に助けを求めるのかわかるはずです。
わたしが小学校で教えるためにブラジルのサオ・パウロに着いてからすぐの月曜日、近隣の高校の校長先生がその学校の教師の一人が終末に嵐のため海で溺れて亡くなったと知らせてきました。その高校の教師たちは、彼女のために生徒と親を集めて葬儀をしようと準備していました。合唱団は、賛美歌を練習しはじめました。けれども、高校教師たちの誰もがお祈りをすることをためらっていました。校長は、"教師たちが言うには、あなたがお祈りのし方を知っているそうなんですが…"と言うのです。一体全体、あまり知りあっていない彼らはどこでわたしがお祈りすることを聞きつけたのでしょうか?わたしが昼食を食べる前に、お祈りしていることに気がついた人がいたのでしょうか?
こういう訳で、わたしは葬儀のとき、神さまが亡くなったかたの家族、友達を慰めてくださるように短くお祈りしました。そして、最後に"主よ、死後にいのちがあることを知りうることを感謝いたします。"と付け加えました。この祈りによって、教師、生徒たちがわたしのオフィスに質問を持ってやってくるようになりました。また、このことによってクリスチャンの高校生たちを釣り出し、彼らが友達に伝道することができるように、わたしのアパートで聖書の学びを始めました。これにより、わたしのミニストリーを高校にまで広げることができたのです。それだけではなく、わたしのミニストリーを早めることにも繋がりました。このことによって、わたしの信仰は、小学校中の人に明らかになった上、高校との繋がりもできたからです。神さまは、この葬儀を用いてすばやく小学校、高校の全ての人、たくさんの上流階級のブラジル人の両親たちにわたしの信仰を明らかにしてくださったのです。それでも、わたしは人に宗教的な会話を押しつけず、彼らの質問に答えるだけに留めていました。
この連鎖的な物事は、わたしが人から観察されるような職場において、そっと餌を蒔き続けていたからです。もし、わたしが狩りをしていたならば、わたしの周りにいる人たちは心を閉ざしていたでしょう。釣り伝道の方が効果大なのです!
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